ラブドールの歴史

ラブドールの誕生から現在までの変化のお話です。ラブドールに関する文書が、残っているもので、1番古いものでは、15世紀の大航海時代のものが、有ります。スペイン人や、オランダ人などのヨーロッパ人による大規模な航海が行われた時代に、書かれたもので、水兵は男ばかりで、長期間の航海生活には、何か性的需要を解決できる物が欲しかった。海の上を長期間航海するので軽くて持ちやすい布製の塊とか、場合によっては革製の枕のような物に穴を空けた物でストレス発散しました。穴にバナナの皮を入れてオナホールとして使っていたそうです。

現在のラブドールとは違い、人の形ではなく、ただの穴が空いているだけのものでしたが、ただのオナホールとはやはり違い、枕でもせめて人の腰のようなキュッと締まったラインが有りました。この様な形のものでも、女性の居ない航海生活では、船乗りに、性の悦びを与え、大冒険を成し遂げる原動力にもなりました。16世紀になってから、人型の布製のものが、船乗りの間で流行ったと書かれた文献が、有りますが、どのように人の形に変化したとか、誰の発明なのかとかは、具体的に記載されていません。一説には、オランダ人の船員が発明したという説がありますが、その真実性は今更考察するのは不可能です。

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日本には、18世紀にオランダから持ち込まれた布製のものが、最初ではないかと言われています。元々こんにゃくの真ん中に穴を貫通して使用する簡易的なオナホールなようなものが有りました。18世紀に書かれたという浮世草子に吾妻形人形という表現で登場する人形が日本で最初の国産ラブドールの先祖と思われます。江戸時代の富裕層のあいだで流行った遊びであるとも言われていますが、もしかすると記録がないだけでもっと古くからあったかも知れません。吾妻形人形は、木材を刀の鞘を作る技術で作った物や、簡易なものはこんにゃくの真ん中に穴を貫通したものを、木製の等身大人形の股間に入れて使うものです。木材を刀の鞘を作る技術で作った物や、簡易なものはこんにゃくの真ん中に穴を貫通したオナホールを吾妻形と言います。

現在のラブドールに近い空気で膨らますダッチワイフは、第二次世界大戦中にドイツで生まれました。第一次世界大戦中に、軍隊での性感染症の蔓延を見たヒトラーの命令で、開発され、ドレスデンで、製造されていましたが、ドレスデン空襲で、秘密の人形工場も連合国によって粉々に吹き飛ばされ計画はわずか1年の実施後に消滅しました。空気で膨らますダッチワイフは、アメリカ軍でも利用されてベトナム戦争時にベトナムにも持ち込まれたようです。

その後ダッチワイフという形で世の中に広く知られることになったのが1956年の第一次南極越冬観測隊が持ち込んだと言われているマネキンです。空気で膨らますダッチワイフは、凍り付いてしまって使い物にならなかったようです。ベンテンさんと呼ばれ今のラブドールの始まりと言われています。年配の方なら聞き覚えがあるかも知れませんが、南極1号という名称でダッチワイフというものが世に登場したのもこれを機に広まったものなのです。当時のダッチワイフの主流はエアードールタイプで空気を注入し膨らませて等身大のドールにする分けですが、すぐにパンクするし、見た目の悪さもあったので世間の評価はイマイチだったみたいです。

しばらくして、発泡ウレタンを骨格としラバー、ラテックスで皮膚を被せるという構造のドールが開発されました。これこそラブドールの原型と言われるものです。現在では、シリコン製のラブドールや、TPE製のラブドールが、主流になっております。